キングダム考察|六大将軍の白起(はくき)が史実でも40万人を生き埋めにしている!

(原泰久先生/集英社/キングダム)
キングダムにおいて六大将軍の筆頭と
呼ばれている「白起」という将軍。
この時代の秦国において、
最強と呼べるレベルの功績を残す。
それは史実でも同様。
キングダムにおいて政が趙で
多数の迫害を受けるきっかけとなる長平の戦。
ここで40万の趙兵を生き埋めにしたという話。
史実でも同じ事をやっている。
但し救った命もある。
白起の史実が序盤で凄い
白起の活躍は目覚ましいものがある。
紀元前293年に韓と魏を攻めた。
伊闕の戦いでも首切り桓騎よりも
更にやりすぎと呼べる事を始めている。
24万の斬首。
この時点ですでに白起が通常の将軍とは
異なっていたというのが垣間見える。
翌年には弱体化した魏を更に攻めて
60を超える城を落としている。
将軍として名が広がる段階で
すでに大きな功績を残している白起。
大国であった楚の領土戦にも勝利する。
これが紀元前278年の事。
楚の首都郢の陥落にも成功。
これが紀元前278年の事である。
白起が楚の首都遷都のきっかけを作った。
もし白起が贏政の時代に生きていれば、
秦国は容易に中華統一をなし得たかもしれない。

(原泰久先生/キングダム)
白起の功績はこれだけに留まらない。
更に273年には魏をまた攻める。
華陽の戦いと呼ばれる戦で、
趙と魏と韓の将軍に打ち勝つ。
この時も、
10万を超える兵を斬首に処している。
長平の戦の40万生き埋め
華陽の戦いと同じ年には、
趙将賈偃と戦い2万を黄河に沈めている。
斬首に限らず、
徹底して相手の兵力を削ぐという方法。
今のキングダムの将軍では
桓騎以外これに該当するような残虐性を
持っている人物はいないと言える。
斬首に関してはまだ続く。
陘城の戦いという紀元前264年の戦では
5万を斬首している。
そして長平の戦い。
白起の軍略が光った戦でもあった。
趙括に対して、
兵糧攻めで勝利したというのが史実。
キングダムでは廉頗将軍に変わって
充てがわれた若手のホープと言える趙括。

(原泰久先生/キングダム8巻)
趙括が王騎に抹殺されて終結している。
まさに瞬殺という言葉が
ふさわしい様な両断だった。
王騎としてもこの戦が楽しかったのだろう。
2年続いた至極の戦が
あなたのせいで台無しです。
死んで出直してきなさい。
おバカさん。
-王騎-
(原泰久先生/集英社/キングダム8巻)
この勝利後に白起の決断。
残った捕虜の兵を生き埋めにするという。
数は40万。
今まで最大の数となる。
これによって大きな憎悪が趙を
駆け巡ることになったと言うのがキングダム。
史実もこれは変わらない。
40万の兵に対して、
兵糧を賄いきれなかった白起の決断。

(原泰久先生/キングダム8巻)
反乱の恐れがあったのも事実。
しかし救った命もある。
少年兵の200人余りは生き埋めにしていない。
完全に残虐非道だったということではない。
あくまでも秦国への優位性を考えたものだったと
言っていいのではないか。
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白起の長平の戦い以降
白起の大きな活躍は当然宮廷内に
嫉妬を生み出すものでもあった。
実際に当時の宰相であった范雎が
次なる戦で邯鄲に攻め込もうとする
白起を止めている。
そして、
趙との和議を結んだのだった。
白起の驚異的な強さは秦国内でも
強い人気を博していたと言える。
259年には再度邯鄲を狙う。
王陵将軍で包囲網を敷くが上手く
攻略が出来ずに、
総大将を王齕に変えての戦へと切り替わる。
キングダムでも紹介される
六大将軍の一人である王齕。
しかし魏の信陵君と楚の春申君が
援軍に駆けつけた事で秦国は大敗を喫する。
この戦の処理を白起が命ぜられる。
当時最強と呼べる将軍だった白起。
しかし、
すでに范雎に対しての不信感が大きく
病であると嘘をついて出兵を拒んでいる。
まるでキングダムに登場した司馬尚の
ようなことをこの時にしていた。
病でもありません。
中央を嫌う司馬尚は病と称して
中央からの命令を全て無視しているのです。
-李牧-
(原泰久先生/集英社/キングダム46巻)
范雎はもとより王にも自ら総大将を
頼まれるが断る。
王の命を断るというのは相当な覚悟。
すでに趙が国力を回復していて戦えないと
判断していたという。
和議もせずに白起の任せるままに
邯鄲を攻めていたならば、
趙の陥落は目の前だったと言える。
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白起が自害する
白起は王と范雎の願いも聞き入れず、
王齕の敗北に対しても悪態をついたという。
これによって王を怒らせたのだろう。
キングダムにおいては、
大きな信頼を置いていたと考えられるため
泣いて馬謖を斬るという発想であったとも考えられる。
紀元前257年に白起は昭襄王の命令で
自害されされている。
死に際に白起は自問自答をしていたというのが
有名な話として残っている。
自分に何の罪があるのか、
なぜ自害をさせられるのかを考えていた。
そして思い当たる。
長平の戦いにおいて降伏した兵を
一夜にして40万の生き埋めを行った。
これが罪にならないはずもないと
自害を決意する。
秦国ではかなりの人気を博していた白起。
こうして中華最強と呼べる将軍が
最期を迎える事になった。
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