キングダム考察|桓騎(かんき)は史実で死亡!李牧弱点つかれ討ち死に
桓騎(かんき)について史実を交えながら死亡に至るまでを考察していきます。
史実での事実を言ってしまうと二つの説が存在しています。
- 李牧に討たれて死亡
- 敗走し逃げ延びる
どちらかが採用されると考えられますが、恐らくは李牧に討たれて桓騎が死んでしまう1の説になると予測します。
わざわざ李牧が「弱点」について黒羊の後で明言したのが最たる理由とも言えます。
それでは最凶と言ってもいい桓騎について史実を交えて考えていきましょう。
桓騎(かんき)は登場時から化け物
桓騎(かんき)は元々は嫪毐の反乱の一件での功績が大きく嬴政によって将軍職に任命された史実がありました。
キングダムでは廉頗将軍との戦いになった山陽の戦にて蒙驁将軍の副将として登場しました。
その時点ですでに蒙恬の話では化け物として認識されているのが分かります。
桓騎将軍は元々秦南方の山々を縄張りにしていた大野盗団の首領だ。
性格は残忍。
野盗時代の気性の荒さが抜けきれず未だに投降兵もろもろ殺しまくる。
野盗時代一つの城邑を攻め落とした桓騎は自ら住民全員の首をはねたと言われている。
首切り桓騎。
それが今なお続く彼の異名だ。
(中略)
戦いの天才だからだ。
誰から教わった訳でもない桓騎独自の兵法の前に秦の討伐軍はただの一度も勝てなかった。
-蒙恬-
(キングダム19巻)
他に類を見ない残酷さも兼ね備えた戦略によって勝ち続けてきた桓騎将軍です。
実際に山陽の戦でも相手側(魏)の総大将である白亀西(はくきさい)を討ち取っています。
黒羊でも紀彗が敗北覚悟で丘を降りてしまう戦術を使いました。
史実では呂不韋時代には将軍になっていませんが、キングダムでは蒙驁の元で将軍として君臨しています。
桓騎の史実における功績は3つで、どれも趙攻めに関わっているものになります。
- 王翦や楊端和と共に鄴陥落に関与
- 趙に侵攻し平陽と武城を平定した
- 武遂にて趙の守護者扈輒将軍を討つ
どれも大きな功績となります。
鄴攻めの二年後に平陽と武城を攻め落とす
鄴責めが終わった後、二年後に桓騎を総大将として趙の平陽と武城を攻め落とす事になります。
キングダムにおいては魏との同盟が生きている間での話になります。
鄴が落とされた後に趙側も前線と共に武城と平陽の拠点強化を行ったと書かれていました。
前線を固める一方でその後の武城と平陽の拠点強化にも素早く着手し、趙の文官・武官達は実験をふるう郭開の手腕に驚いた。
だがそれらはいずれも実は地下牢で李牧が郭開に進言したものであった。
(キングダム60巻)
郭開が盗んだ李牧の策によって鄴攻めの後に前線を押し込めない秦国軍という構図が出来上がりました。
この後で什虎城の戦を経て魏との三年同盟を結んでいます。
前線の押し込みと後にある平陽と武城の侵攻で桓騎が抜擢される事になりました。
桓騎が総大将として物語で描かれるのは黒羊以来と言えるでしょう。
そこで趙の平陽と武城を落としてしまいます。
武遂にて扈輒を討ち取る
桓騎最大の功績と言えるのが守護者である扈輒の討ち取りではないでしょうか。
キングダムにおいて扈輒将軍は趙の守護者と言われている程に守りの強い武将です。
扈輒は鄴攻めの後に秦国の王翦や桓騎を含めた軍勢に対してしっかりと守りを固めるだけの実力を持った武将です。
しかしながら平陽と武城を桓騎に攻略された後、その先の武遂にて討ち死にとなります。
武遂に関しても不落の城と呼ばれたもので李牧が燕から劇辛を討ち取って奪取しました。
この不落と呼ばれた城を李牧が更に改良をしているのだとすれば、相当に落ちにくい城になっていたはずです。
桓騎はこの武遂にて扈輒を討ち取っています。
扈輒の死は「史記」の廉頗藺相如列伝にて描かれた史実の一つ。
更にここで桓騎は扈輒を討った後でそこにいた10万の趙兵の首を斬り落としを敢行。
「首切り桓騎」の名はキングダムの創作ではなく、実際に扈輒討ち取りの後に行われた事実と言えます。
桓騎の功績はここで終わりを告げます。
李牧に討たれ死亡する桓騎
桓騎(かんき)の最期は李牧に討ち取られて死亡してしまいます。
実は説としては二つあり「逃亡」の可能性もゼロではありませんでした。
武遂にて扈輒将軍を討ち取った桓騎。
更に趙兵10万の首をはねて「首切り桓騎」の名前のままに史実でも存在しているのですが、翌年紀元前233年の侵攻で李牧が相手になります。
キングダムでは鄴攻めの後に李牧は司馬尚のいる青歌に身を潜めていました。
しかしながら扈輒が死んでしまい王都防衛が難しくなったと考えた郭開たちは李牧の再招集をするのでしょう。
その再起戦として出向くのが桓騎との戦いです。
この戦いは「肥下の戦い」として歴史的にも有名なものとなっています。
なぜ有名なのかと言うと実は李牧という人物はこの戦に向けて幽繆王が任命した将軍でした。
この時点までは李牧は北部の国境防衛に務めていたのです。
更にこの戦によって桓騎を討ったばかりか秦国から領土を奪還した初めての将軍であり国であると高い評価を受けています。
桓騎の弱点とは
李牧は桓騎の弱点を見破っていました。
実は黒羊の戦いにおいて慶舎も見破っていたのです。
この時の桓騎は紀彗軍の力を推し量れたいなかったのが原因で慶舎を討ち取れませんでした。
これは慶舎も同じではありますが、桓騎と根本的に違うところがあります。
紀彗・離眼軍の力を推し量れていなかったようだな。
今回はその見落としがこちらに吉と出て、お前の方に凶と出ただけのことだ。
お前の恐ろしさは十分に分かった。
そしてお前の弱点も良く分かった。
-慶舎-
(キングダム468話)
桓騎は人を過大評価しません。
的確な評価は出来ますが、基本的に人間そのものを信じている様子が全く無いわけです。
それは合従軍のときからそうです。
王翦との違いは「王翦は王賁や李信の覚醒」すら策略に入れる点にあるでしょう。
言ってみれば人が正義の為や人を守る為、快楽や略奪以外での戦力の上昇について疎いという点があります。
桓騎の怒りベースが「正義を宣う者」と「無関係を装う者」にあるのだとすれば、人を信じる心に大きな穴を開けていると言えます。
よって桓騎軍は飛信隊の様ないざという時の馬力が足りないと言えます。
「いざというとき」を作ってしまえば容易に勝てるというのが弱点。
戦力としても考えていた軍力以上のものが無いのだとすれば、李牧に桓騎軍の底を見せてしまったのが敗因の一つでしょう。
覚醒や想像以上の士気上昇などが無い軍は御しやすい軍と言えそうです。
実際に肥下の戦いでは桓騎軍の兵糧や兵站が狙われたとされます。
桓騎軍の中に余裕はなくなり、元の軍の力よりも絆などで覚醒することはないと言える状況となりました。
想定よりも弱い軍になるのだとすれば、突飛な策も正面衝突で撃破可能です。
キングダムにおいてもこの肥下の戦いで桓騎は李牧に弱点をつかれて敗北するのでしょう。
逃亡と討ち死に説がありますが、逃亡の先で樊於期と名前を変えるはずでしたが、樊於期はすでに登場しています。
よって樊於期に名前を変えて生き延びる説は無くなりました。
何より今までの残忍な行動の末を考えるなら、李牧に討ち取られる流れが最もスタンダードなものと考えていいでしょう。
ちなみに肥下の戦いの後には番吾の戦いという有名な戦があり、ここで秦国は李牧に韓と魏の国境付近まで領土を奪還される大敗に喫しました。
要するに鄴攻めの後で桓騎が一部進行し勝利を治めながらも、後の二戦では李牧に大敗を喫するということです。
どれだけ李牧が史実でも強かったのかが分かります。
以上が桓騎の死亡に至るまでの史実を踏まえた考察となります。
- 鄴攻め後、魏の同盟期間に平陽と武城を平定する勝利
- 更に不落と言われた武遂にて扈輒将軍を討つ桓騎
- 趙兵10万の首をはね飛ばす
- 翌年赤麗と宜安を攻めるが李牧に敗北
- 討ち取られて桓騎死亡
一覧にまとめると以上が今後の桓騎の流れになるはずです。
マンガ好き
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