キングダム考察|項燕と楚王となる昌平君が最強の敵!討死と自害という最期
キングダムにおける最後の敵であるラスボスが誰になるのか。
中盤最後まで君臨する最強の敵は李牧であることに疑いはありません。
李牧が趙の最終戦で処刑される史実をキングダムでも採用するのかどうか。
なぜなら李牧が光と称した嘉が生き残り「代」という国を建国するからです。
燕と代の連合軍については紀元前227年に王翦によって敗北。
更に翌年の紀元前226年には燕の都は陥落して、何とか燕王喜だけが逃げ延びる程度となります。
最終的に滅ぼされるのは王賁と李信によって楚の滅亡よりも後の話。
しかしながらこの時点で楚を超える戦が描けるはずもなく、最終戦はおそらく楚戦になるだろうと予想されています。
このキングダム冒頭の1コマ目にある「李信将軍」と叫ばれているのは楚戦に向かう信の一場面でしょう。
李信は楚の戦で大敗する
以前にも別の記事で書いていますがおさらいをしておきます。
まず秦国の中華統一における侵攻で戦国七雄が徐々に滅亡していきます。
まずは弱小国である韓が亡び、次に趙が亡び、次に魏が亡ぶ事になりました。
韓は騰が滅亡まで追い込む事になります。
次いで趙は王翦と羌瘣と楊端和によって滅ぼされました。
魏は王賁が総大将として水攻めを行う有名な戦で亡ぶことになります。
この段階で王賁は一国を亡ぼす総大将になっている為、六大将軍の一員になっているのは確実です。
趙から逃げ延びた嘉も趙の北東に位置する代にて新たな国を建てます。
そして燕と代は連合を組んで秦国に対抗しますが、王翦を総大将とした軍に壊滅。
趙が滅亡する紀元前228年の翌年のことです。
ただ魏を滅亡する戦の前年に燕は王翦と王賁によって都を陥落されています。
何とか燕王喜だけが遼東に逃げ延びて滅亡を避けていますが、まともに戦える状態ではなくなっています。
現実的には韓と魏と趙が滅亡して、燕と代は再戦不可能と呼べる状態まで追い詰められてから楚との戦に挑みます。
もしそうしなければ後に語る秦国全軍での戦いは出来なかったでしょう。
王翦よりも李信が選ばれた
王翦と李信の二人が総大将の候補として上がっていました。
史実ではこの段階で王翦はすでに将軍職を降りていて引退しています。
そんな王翦は「楚を亡ぼすには兵が60万は必要である」と嬴政に打診しました。
しかし当時勢いのあった李信は「20万で足りる」と断言。
すでに老年になり将軍職も辞している王翦は弱気だと判断し、李信を信じた嬴政。
李信を楚の滅亡戦における総大将に任命します。
副将に選ばれたのは蒙恬。
期待のかかった20万の出征であり、実際に序盤は大きな功績を残しています。
もし楚に項燕がいなければ、この戦も李信と蒙恬が勝利したかもしれない。
楚の項燕が強すぎた
李信と蒙恬は共に10万ずつを二手に分けて侵攻していきます。
守る楚に対して李信は平輿で楚軍を相手に大勝。
そして蒙恬も寝丘にて楚軍を打ち破り勝利を収めます。
そのまま李信と蒙恬は更に進軍を続け、楚の都である郢(秦国で言えば咸陽)の周辺を奪取し続けていきます。
優勢に進めていた楚への侵攻でしたが李信は途中の蒙恬との合流地点である城父にて事件は起こります。
本来の行軍速度ではあり得ない速さで項燕の軍が追ってきたのです。
想定外の奇襲に混乱した李信と蒙恬軍は塁壁を破られ七人の武将を討たれる惨事を経験し、大敗となります。
ただこの時に一つの問題が起こっていました。
昌平君の裏切りです。
項燕の攻撃に呼応するかの如く郢陳という昌平君が治めていた元楚の領地で反乱が起きたのでした。
李信はこの反乱を鎮めるべく動こうとした時に項燕の奇襲によって攻め込まれています。
昌平君は一度呂不韋のことも裏切っている過去がありました。
これは嬴政の味方になる瞬間の出来事。
この時点で中華統一は楚か秦かという状況にまで迫っていました。
ちなみに昌平君は王翦の策を支持しており、嬴政に進言したとも言われています。
史実における嬴政の性格は人の言うことを聞くようなタイプではなく、怒りを勝った形になる昌平君。
結果的に丞相の地位を剥奪されてしまっています。
裏切らなければならない事情が出来てしまったとも取れます。
また昌平君は楚の王族の息子であった事実も裏切らせる材料の一つと言えます。
キングダムではおそらく媧燐が探している生き別れた弟が昌平君だと予想されています。
そうなると媧燐もまた王族の一人という事になります。
体の大きさなどを考えてみても一致しない点も多く、昌平君との関わりはあれども実際に媧燐の弟ではない可能性は十分あるでしょう。
王翦が総大将に選ばれる
最初に行った李信を総大将とした戦によって、参加していた武将の多くを失い兵力も相当数が消えてしまいました。
春秋戦国時代における秦国の歴史的な大敗と言えます。
(春秋戦国時代の中華統一戦における秦国の大敗は二度だけで李信の楚攻めと桓騎の趙攻めのみです)
史実で見れば、当然贏政は相当に激怒していると言えるでしょう。
それでも蒙恬と李信を処刑しなかったのは、それだけ項燕が恐ろしく少しでも戦力を残す必要があったとも考えられます。
また昌平君という秦国における要人の裏切りがあってこその大敗。
嬴政としても昌平君を罷免した後の動きを見極められなかった自分の非も感じていたのかもしれません。
そういう意味では最初の侵攻の功績を見ても李信と蒙恬の実力を買っていた嬴政と言えるかもしれません。
実際に楚戦の後も李信を登用して最後の燕と代の戦に向かわせています。
ここで一度は不採用とした案を元に王翦を将軍に復帰させる嬴政。
圧倒的と言える戦略眼を持つ王翦に最後は頼るしかありません。
軍力はこの時点で秦国の全軍と言える60万を引っさげての最終戦です。
項燕と昌平君という最強の敵
王翦が率いたのは秦国の全軍と言える60万という兵力。
燕と代が残っていますが、秦国に対して隙きをつけるほどの軍事力は残っていませんでした。
もし多少なり残っていて攻められたとしても楚における項燕と昌平君のタッグに比べれば何てことはありません。
この戦にて恐らく新六大将軍の全てが集結することになるでしょう。
函谷関での守りの全軍ではなく攻めの全軍。
副将は昌平君と共に育ってきた蒙武となりました。
什虎の城で満羽に言われた言葉染みるところではないでしょうか。
背負っているものが裏切られた時に蒙武がどうなるのか。
蒙武、お前が何を背負っているかまでは分からぬ。
それがすでに死んだ人間の思いならば永劫の力となるであろう。
だがそうではなく、生きている者の何かを背負っているとしたら、お前は一つだけ覚悟しておかねばならぬ。
それに裏切られることがあるやも知れぬということを。
-満羽-
(キングダム658話)
まさにこの言葉の通りの事が起こってしまった蒙武です。
王翦を総大将とした秦国の全軍は陳から南の平輿までを再度侵攻して占領。
そして楚王である負芻を捕えました。
本来はここで楚は滅亡となりますが、昌平君と項燕はまだ生きています。
昌平君を楚王として擁立
項燕は王翦に大敗した後に一旦退いていきます。
負芻が捕えられた後、楚の王族の血を受け継いでいた昌平君を擁立して楚の復活を目論みます。
昌平君を王と楚における最強の大将軍項燕との最終戦が始まります。
これに対応したのも王翦。
史実において王翦という存在は大きすぎる功績を残している武将となります。
秦国最強の武将だったといっても差し支えないでしょう。
この最終戦で自ら戦闘に加わった昌平君は戦死し、これを受けて項燕は自害する事となりました。
恐らく昌平君は蒙武の手によって葬られるのであろうと推察されます。
主人公の李信に関しても全軍での戦いであったことを考えると参戦していたでしょう。
王翦が歴史上で危険視した将軍は過去二人だけとなります。
それが「李牧」と「項燕」になります。
李牧に関しては直接対決ではなく謀殺。
項燕に関しては秦国の全軍という驚異的な力での戦いに持ち込みました。
キングダムにおいてもこれは変わらないでしょう。
更に秦国で軍総司令を務め、自らも武人としての力を持つ昌平君。
初めて王翦の中で「勝てるかどうか分からない」という戦がこの楚との最終戦になるのかもしれません。
以上が昌平君と項燕に関して最終戦までの史実を踏まえた考察となります。
マンガ好き
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