胡亥の史実と秦帝国の崩壊。暗愚か、それとも悲劇か。蒙恬も李斯も処刑【キングダム考察】
始皇帝のあとを継いだ若き皇帝が胡亥です。
キングダム846話にて名前が初登場し、なんとなく不穏なコマで表現されていました。
紀元前221年、中国全土を初めて統一したのが秦の始皇帝です。
彼は法による厳格な支配体制を築き、中央集権を徹底することで広大な国土を治めました。
その死後、国家の行方を大きく左右したのが「誰がそのあとを継ぐのか」という問題でした。
ところが、後継者争いは単なる皇子同士の争いでは終わりません。
始皇帝の死を機に、朝廷内では巨大な陰謀が進行していたのです。
皇帝の座に就いたのは、なんと末子の胡亥(こがい)。
まだ若く、政治経験も乏しかった彼が、なぜ国を導く立場に立たされたのか。
そこには、趙高という一人の宦官の影がありました。
なぜ胡亥が皇帝に? 沙丘の政変
紀元前210年、始皇帝は5度目の全国巡幸の旅に出ます。
この時、同行を願い出たのが末子の胡亥でした。
父に寵愛されていた胡亥は許され、共に旅路につきました。
しかし旅の最中、始皇帝は病に倒れ、沙丘という地の平台宮で亡くなってしまいます。
その場にいたのは、丞相・李斯、そして皇帝の印章を管理する宦官・趙高でした。
実は、始皇帝は臨終の直前、長男の扶蘇に対して「咸陽に戻って喪を迎えよ」との詔(みことのり)を書かせていました。
ところが、この詔は正式に使者に渡ることなく、趙高の手元に留められていたのです。
趙高は胡亥に密かに語りかけます。
「扶蘇が皇帝になれば、あなたには何の権力も残らないどころか、他の公子たちと共に遠ざけられるでしょう」
初めは乗り気でなかった胡亥も、趙高の言葉に揺さぶられていきます。
「主君に逆らった殷の紂王や夏の桀王を誅したのが、聖人と讃えられる湯王や周の文王であった」との例を引き合いに、趙高は説き伏せたのです。
こうして趙高・李斯・胡亥の三者による陰謀が始まりました。
彼らは始皇帝の詔を偽造し、扶蘇と将軍の蒙恬に対して「謀反の罪あり」として自害を命じる偽の命令を送ったのです。
結果、扶蘇は潔く命令に従って自害。蒙恬は疑いを持って抵抗するも、最終的には自決に追い込まれます。
ここに「沙丘の政変」は完成し、胡亥は兄たちを排して、密かに皇位を手にしたのです。
恐怖政治の始まり──趙高の進言と粛清
皇帝に即位した胡亥は、始皇帝の喪を終えた直後から趙高に政務を依存するようになります。
「楽を得るにはどうすればよいか」と胡亥が尋ねると、趙高はこう答えました。
「法を厳しくし、刑罰を重くし、親族を遠ざけ、陛下にのみ忠誠を誓う者だけを登用すれば、誰も逆らえず、安らぎを得られましょう」
その結果、兄弟たちは次々と粛清されました。
12人の公子は市場で斬首され、10人の姫君は杜の地で車裂きの刑にされたうえ、市場で晒し者に。
皇帝の身内すら見せしめに処刑するという前代未聞の所業でした。
また、阿房宮(巨大な離宮)の工事も再開。各地の民から莫大な物資と人夫が徴発され、咸陽周辺300里では食糧すら手に入らなくなったと伝えられます。
胡亥自身は贅沢な暮らしを楽しみ、狩りや宴に明け暮れますが、その裏では人々の不満と怒りが日増しに高まっていました。
反乱勃発──陳勝・呉広の乱と民衆の蜂起
そうした中、ついに民衆の怒りが爆発します。
紀元前209年、楚の地(現在の中国・湖北や安徽あたり)で、陳勝・呉広という名もなき農民が武装蜂起しました。
いわゆる「陳勝・呉広の乱」の始まりです。
彼らは「王侯将相いずくんぞ種あらんや(高貴な身分に生まれなければ王になれないというのか)」というスローガンを掲げ、次々に民衆を巻き込みながら、秦の各地で城を攻略していきます。
胡亥はこの報告を受けると、「盗賊風情が何を騒ぐ」と怒り、伝令を獄に繋ぎます。
「これは反乱なのか、ただの賊なのか?」と学者たちに問うと、多くは「反乱です」と答えました。
しかし、叔孫通という人物だけが「盗賊です」と答え、胡亥に気に入られ褒美をもらいます。
ところが、実際には反乱軍の勢いは凄まじく、数十万の軍勢にまで膨れ上がっていました。
秦は囚人を武装させて迎え撃つという緊急措置を取りましたが、もはや国内の秩序は崩壊寸前だったのです。
李斯の忠誠と最期。趙高との確執、拷問、そして腰斬刑
胡亥の即位に加担し、政権を支えた丞相・李斯(りし)は、本来は極めて優れた政治家でした。
法家の理論をもとに、始皇帝の中央集権体制を築いた立役者でもあります。
しかし、そんな李斯もまた、次第に趙高との間で権力闘争に巻き込まれていきます。
胡亥が政務を趙高に一任し、臣下の声を聞こうとしなくなったことで、李斯はしばしば諫言(かんげん)します。
「阿房宮の建築や重税・重労働が民を苦しめ、反乱の火種になっています」と訴えますが、胡亥は「天子とは意のままにふるまう存在であり、聖人のように質素に暮らすのは愚か者のやることだ」と、真っ向から否定します。
それでも李斯は皇帝を諌め続けましたが、それを機に趙高の反感を買います。
趙高は、「李斯は反乱軍の首領・陳勝と通じている」と讒言を行い、胡亥はその言葉を信じてしまいます。
こうして李斯は捕らえられ、趙高の配下によって拷問されます。
激しい責めに耐えきれず、李斯は無実の罪を認めてしまい、三族すべてが処刑対象となりました。
処刑の当日、市場にて腰から斬られる「腰斬刑」が執行されます。
李斯は息子と共に刑場へ連れ出される途中、涙ながらにこう語ったと伝えられます。
「かつて私と息子が郊外の猟場で共に犬を放ち、野兎を追いかけたあの日々が懐かしい」
忠臣・李斯の最期は、恐怖による政治がいかに人の命を弄ぶかを象徴する出来事となりました。
指鹿為馬の恐怖。“正しさ”を否定した世界
李斯の死後、趙高の権勢は頂点に達します。
宰相に就任した彼は、皇帝すらも完全に支配下に置こうとしていました。
ある日、趙高は胡亥に一頭の「鹿」を献上します。そしてこう言うのです。
「これは素晴らしい馬でございます」
胡亥は当然、「これは鹿ではないか?」と問い返しますが、趙高は微笑を浮かべるだけ。
そこで胡亥は周囲の臣下に「これは馬か? 鹿か?」と尋ねました。
この時、ある者は沈黙し、ある者は「確かに馬でございます」と答え、
そして「いいえ、これは鹿です」と答えた者たちは……のちに全員、密かに粛清されました。
この事件は、「指鹿為馬(しかをさしてうまとなす)」という故事成語の語源となった有名な逸話です。
本来なら誰が見ても明らかな「真実」が、「権力者の意向」によってねじ曲げられていく。
その象徴的な出来事が、ここにありました。
望夷宮の変。最後の懇願と無慈悲な処刑
恐怖政治の末、反乱は全国に拡大していきました。
楚の項羽、漢の劉邦らが蜂起し、秦の将軍たちも次々と敗れていきます。
この混乱の中、趙高はついに「胡亥を殺して、自ら権力の中心に立とう」と決意します。
そして、咸陽から胡亥を郊外の望夷宮へと移すよう仕向けたのです。
ある日、趙高の娘婿・閻楽が「賊が侵入した」と偽って宮殿に兵を入れ、胡亥の寝所に突入。
罪状を並べ立て、「お前は無道の君主であり、天下はすでにお前を見放している。自害せよ」と迫ります。
胡亥は懇願します。
「丞相に会わせてくれ」「せめて郡王にしてくれ」「いや、万戸侯でいい。生きたい」「ただの百姓でもいいから命だけは……」
しかし、すべて却下されました。
「我々は天下百姓の代表として、あなたを処刑する」と宣告され、胡亥は最期、自ら命を絶ちます。
始皇帝の威光を受け継いだ“皇帝”は、あまりにあっけなく、孤独に、幕を閉じたのでした。
歴史の評価と再考。胡亥は本当に暴君だったのか?
胡亥の死とともに、秦帝国は崩壊の道をたどります。
残された王族・子嬰が短期間だけ秦王として即位しますが、もはや国家としての力は残されていませんでした。
後世の史書、『史記』『漢書』『過秦論』などでは、胡亥を「愚かで無能な暴君」として描いています。
確かに、多くの粛清と民への圧政を行ったのは事実ですが、それを胡亥一人の資質に帰すことは適切でしょうか?
日本の中国史研究者・鶴間和幸氏はこう指摘します。
「胡亥は即位時に12歳、死去時に15歳だったと考えられる。
そんな少年に国家の命運を左右する判断力があったとは思えない。
むしろ、彼は始皇帝の遺志を継ごうとけなげに振る舞った“少年皇帝”だった」
また、そもそも皇帝の即位自体が趙高と李斯による謀略の結果であり、胡亥自身の意志とは言い難いものでした。
歴史とは、時に勝者によって書かれるもの。
胡亥の人生も、真実より「悪役」としての物語が都合よく強調された結果だったのかもしれません。
“滅びゆく帝国”が残したもの
胡亥の治世は、たった3年でした。
しかしその3年間で、秦帝国は内側から急速に腐敗し、崩壊へと進んでいきました。
趙高の専横、恐怖政治、民への圧政。
どれも始皇帝の築いた中央集権体制が持つ“構造的な脆さ”が噴き出した結果とも言えます。
「強さ」は「安定」とは限らない。
「統一」は「永続」を保証しない。
胡亥の短い人生は、そうした歴史の真理を、あまりにも生々しく私たちに突きつけてくるのです。
マンガ好き
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