終末のワルキューレネタバレ46話|釈迦は未来が見える!神器発動で現在無傷

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終末のワルキューレ46話のネタバレ考察です。

零福とのバトルが開始されましたが、釈迦には攻撃が当たりません

釈迦の力がチート的過ぎる感じもありますが、発想が幼稚な零福ではこのまま敗北を喫する気がしてならない展開。

釈迦の能力である「未来が視える力」と今回まだ一つしか出ていない神器の壮大な可能性。

どれを取っても零福勝利の道が見えない状況と言えます。

最高神は負けないのか

客席で見ている釈迦と同じ聖人3人

釈迦は零福を挑発しています。

客席には同じく聖人として歴史上で崇められている3人が見ていました。

ソクラテスとイエス・キリストと孔子です。

ソクラテスは「無知の知」が有名ですが「ソクラテスの弁明」を読むと中々融通の効かない頑固者だったんだなぁという感想を持つ人も多いと思います。

釈迦が不意打ちした様に見えただけに神側の客席からはブーイングが飛び交っています。

「不幸」をバネに戦う零福に勝利の道が見えるのか疑問でもありますが、そのまま斧を振う零福。

釈迦には当たりません。

何度斧を振るっても当たらない零福の斧。

不幸だと嘆いています。

当たらないなら戦って勝てるはずもなく神様側からは「毘沙門天の方がよくね?」という声すら聞こえてしまいます。

元々1体だったのだからそんなはずもありませんが、零福は自分の不幸を感じ取って斧を変形させます。

零福の神器は「斧爻(ふこう)」

零福の斧が変形しました。

持っていた斧が神器で名前が「斧爻(ふこう)」でした。

当て字感満載。

爻という字は「交わる」の仲間で、易学という竹棒を使ってその散らかった状態を見ながら占っていく古代中国最古の学問と言われるものから来ています。

爻という漢字は単純に竹棒が重なり当たった状態と言えるでしょう。

意味は状況に応じて様々ななので「不幸」を言い表す訳でもありません。

ヘルメスはこの斧爻という神器に対して面白さを感じている様子。

ヘルメスも中々の変態だけに通じるところがあるのでしょう。

「不幸」を感じ取れば取るほどに強くなる神器。

零福は何でも不幸と思ってしまう超ネガティブ神です。

避ければ避けるほど零福の攻撃力が増える。

でも当たらなければ意味がありません。

釈迦は全てを避けて逆立ち状態のまま足で零福の武器を「すごいね」と拍手する余裕っぷり。

全くもって相手になっていません。

まさに赤子の手をひねるが如くという奴でしょうか。

アダムはゼウスと同格の強さだった

正覚阿頼耶識(しょうかくあらやしき)

釈迦の回避能力は驚異的な反射神経ではありません。

ヒルデがゲルに解説をしていました。

小次郎の技は経験から来る究極の予測。しかし釈迦さまのそれは全くの別物。

森羅万象を読みポセイドンに勝利した小次郎の技。

今回はこの小次郎の萬手無双とはまた別のものです。

釈迦の能力は「正覚阿頼耶識(しょうかくあらやしき)」で未来視に当たります。

未来が見えるという最強クラスの力。

瞳の中に曼荼羅の様なものが描かれていて世界が見えてしまうのでしょう。

実際には少し先の未来が見えています。

全てを悟った者の強さ。

零福が一切反撃してこない釈迦に対して「なめているのか」と言うとすぐさま持っていた得物で反撃。

顎を直撃されて零福はダメージを負います。

この能力について黙っていれば最強状態にも思えますが釈迦は零福に伝えてしまいます。

それも作戦なのか、それともそもそもそういう性分なのかは分かりません。

零福は更に怒り狂います。

攻撃しても一切当たらない零福は「あー・・・不幸だ」と最大級に不幸を斧爻(ふこう)の中に溜め込んでいます。

どんな漫画においても時を操る系は大抵の場合最強の力です。

今回は操る訳ではありませんが、未来が見えて攻撃が当たらないのなら勝ち目もないでしょう。

零福は溜め込んだ不幸を斧に最大限乗せました。

出てきた斧は超巨大で連刃の斧で避けることが叶わない大きさとなっていました。

釈迦の神器が発動する

これは避けられないと判断した釈迦は神器を解放します。

釈迦の持っていた棒状のもの「六道棍」から経典出現して「四之道」が発動しました。

それは『七難即滅の盾(アヒムサー)』でした。

大型の盾ですが、その名の通り七つの難を即座に滅する盾ということでしょう。

観音経における七難とは「火難」「水難」「羅刹難」「刀杖難」「鬼難」「枷鎖難」「怨族難」を差しています。

刀杖難というのははっきりと「武器による難」となっています。

羅刹とは悪魔や魔物と言い表し、毘沙門天が連れている夜叉も同じです(終末のワルキューレでは登場していません)。

鬼難については悪霊などを意味しており呪術的なものも避けられます。

また枷鎖は投獄や拷問、束縛そのものを表していて捕えられる状態を避けるのでしょう。

怨族は悪人そのものを差しています。

更に水と火。

要するにこれら七つの難が即滅される盾ということになります。

防御面もチートで強すぎて話になりません。

「思春期を受け止める」

かっこ良すぎる一言で締めた終末のワルキューレ46話。

未だ無傷の釈迦ですが、この先ただ不幸を溜め込んで戦うだけでは零福に勝ち目もありません

全く別方向からの技が見えるのでしょうか。

少なくとも零福は何かしらの覚醒をしていくものと思われます。

終末のワルキューレ47話のネタバレ考察



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